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赤帽 猫丸運送 いろいろなお手伝い。岡山の赤帽です。

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猫の5 「お船」に揺られてドンブラコ
 
岡山で運送業をしていて良かった・・・とつくづく。それは、船を利用して、四国や瀬戸内海の島々に渡る機会がままあるからです。
船が好き。船旅が意外と大好きなのだと思います。母親の実家が漁師だったものなので、子供の頃、夏休みとなるとよく、漁師を
継いだ叔父さんの家に預けられていました。漁師の朝は早く、夜も明けきらないうちからエビ曳きそして一本釣りと忙しく、当然、
子供はほったらかしとなり、勝手に波止場や海岸端に泳ぎに行ったり、山に虫取り、桟橋でサビキ釣りなどしていました。
そのころから、船(漁船)は身近な乗り物でしたが、海岸端で何時間も泳ぎ、はるか遠くをゆったりと進む貨物船やフェリーを浜から
眺めていました。「あの船はどこに向かうのだろう・・・?」青い空と白い砂浜そして広くて大きな海。海を見ていた午後
漁師船
岡山発で利用する航路はまず宇高航路、小豆島行き、直島行きをよく利用することになります。広島県では宇品−松山もしくは呉
−松山(逆もあり)。宇品港で乗り遅れて、呉まで走って乗り込んだこともありました。呉市阿賀港−松山堀江港。竹原−大崎上島
−大崎下島。島内をぐるりと反対側まで走って航路を乗り継ぎしました。この時は急送品の配達でしたが、夜何時まで船便がある
のか分からずもしかして翌朝まで泊まり込み?と不安でした。結局夕方5時頃到着し、なんとかその日のうちに帰宅。
松山から山口県柳井港(やないみなと)。松山で積み込み防府市へ配達、防府で一泊しています。この航路は母親の実家の近く
ですので、高速艇も含めて何度か利用しています。オレンジライン。大島みかんからつけられたのでしょう。
瀬戸内海
<広島県阿賀港・福山港・愛媛県波止浜は発着無い模様>
運送業を始める以前または仕事以外では、宇品−松山間の水中翼船、この航路はフェリー便もそうですが、呉市の音戸の瀬戸
通過します。これまた楽しい良い眺めです。水中翼船は、音戸の瀬戸で座礁事故かなにかあったため、現在では運行中止となり
ました。フェリーでは3時間余りかかる航路なので、高速船が必要だったのですが。水中翼船は、記憶では発進とともにババッバー
とエンジンの出力が上がりそれにつれて船体も30度?ほど持ち上がりダバンダバンと海面の上を飛び跳ねながら進みます。
福山−多度津間、大阪南港−広島出島のグリーンフェリー(航路廃止と記憶)、小倉−松山間、徳山−大分国東港、宇品−別府
の広別汽船、三原−瀬戸田間、宮島航路竹原−波方(波止浜)これは運送業始めてからか記憶が曖昧、さらに途中、大三島か
どこかに寄って行く便だったような。30数時間かかった神戸−奄美大島間。この時初めてトビウオの飛んでる姿を見ました。
 
また松山−岩国港間(航路があるのかどうか)や広島宇品−江田島もあったのではないかと思います。それから日生のカキ祭り
乗った駐車場から五味市場までのシャトル船、これは無料だし意外で楽しいひとときでした。五味市場、綺麗になりましたね。昔、
ここでアナゴのみりん干しをよく買いましたが、知人に「韓国産じゃねーのか」と言われショックを受けたことが。それ以来数年ぶりに
カキ祭りで訪れると、場所が違ううえに建物が立派に。岡山で運送業を始める以前に、大阪、福岡、広島、松山で仕事をしていたた
め、また港はトイレなどの休憩場所や釣り場として利用することもあったので記憶が曖昧です。でも振り返ってみると結構乗っていま
す。そういえば引っ越し荷物を宇和島港まで配達し、漁船が出迎えその船に家財道具を積み込むなんてことも。待ち合わせ場所が
岸壁埠頭。
摩周丸かな?
フェリーに乗り込むためには車検証が必要です。車の寸法により料金が異なるためです。いろいろな航路に乗りましたが、最も安い
のではなかろうかと思うのは、やはり宇高航路です。歩行者つまり身ひとつで乗船した場合は400円弱、車での同乗者はなんと
無料です。車の料金も非常に安く、軽だと往復割り引き込みで5000円を切っています。家族旅行をする場合、船旅も楽しめてとて
もリーズナブルな料金です。乗船予約、いろいろなフェリー会社が「乗船予約要」としていますが、今までに小倉−松山間位しか、
予約したことがありません。いつも行き当たりばったり、次に乗れる船で良しとしています。ただし、小豆島フェリーではちょうど観光
シーズンにブチ当たり、目の前で一便見送りしました。でも四国フェリーの乗船係りがロゴ入りタオルをくれたのがとても嬉しかった
です。宇高航路がまだ3便あったころ、(四国フェリー、日通フェリー、国道フェリーの3社)宇野港に到着すると各乗り場に行き、どの
船が早く出発するかいちいち確かめていました。桟橋の改修工事が数年前あったり、この間乗り場が2回移動。さらに日通丸が
撤退して以降、今では、四国フェリー1社にしぼっています。
今治 松山−小倉 宮島 乗り遅れた〜
フェリーの甲板デッキに車輌を乗り入れる際、航路によっては、バック乗りする場合が何度かありました。宇高航路などでは、搭乗
ゲートは前と後ろに有り、普通に前進して乗り込んでも、港到着時に港湾内で船が回転して車の前方向に、降り口ゲートを向けて
くれます。記憶では、直島航路と松山−柳井航路がバック乗船だった気がします。直島へは数回、配達に行きましたがそれも確か
NHKの朝ドラマ「ほんまもん」を放映(フェリーの時間待ち、待合室にて観ました)していたころまでで、トレーラの運転手が上手に
バック乗船していたのを覚えています。なお自分がバック乗船したかの記憶は余りなし。多分していたはず。
 
と、この原稿ここまで作成して実は数年間、放置・・・していました。この間、高速道路のETC割引が実施され、フェリー各社が宇高
航路より撤退そして航路自体の廃止という大問題に発展してしまいました。2011年現在、フェリー便数はかなり減っていますが、
なんとか航路は存続しています。(原稿放置していたことに改めて猛反省 m(_ _)mゴメンナサイ)
宇野−高松
宇高航路、岡山県玉野市宇野と香川県高松市を結ぶ航路は、本州と四国をつなぐいわゆる街道としてたとえ瀬戸大橋が無料開放
されようとも必要なはずです。国道30号線は岡山市東中央町(大雲寺交差点)を起点とし、岡山市街地を南下、灘崎町を通過し玉
野市より海路に出て、そして高松市北浜町の岸壁を経て高松市中新町交差点を終点とする路線です。航路が廃止されてしまうと
本州と四国の連絡が寸断され、高松側ではわずか2キロの国道30号線がポツンと取り残されてしまいます。ずっと昔、高松に船で
渡り30号の道路標識を発見して驚いたことがあります。宇高航路は元々国鉄の連絡船だったことをしみじみ思い出したりと。
(海路を系由する国道は、神戸−明石−淡路島−徳島を結ぶ国道28号線も)
一般国道30号線
宇高連絡船は、宇野駅高松駅の乗降客のみならず、鉄道貨物車や客車を載せて本州四国を結んでいたことがありました。まさに
鉄道連絡船だったのです。宇野港の歴史は明治後半、日露戦争前後から始まりそれまでは宇野の西側の日比港が江戸時代より
瀬戸内海航路の潮待ち港として栄えていて、宇野は塩田の広がる漁村だったそうです。製鉄所の候補地として着目されたが岡山
県の玄関口としての港建設地となり、この計画に尽力したのが、現在、フェリー乗り場西脇の緑地に銅像が建っている桧垣直右
知事です。完成は明治42年、宇高連絡船開業は翌43年。岡山宇野間の宇野線開通も明治43年。それまでは鉄道岡山駅を結んだ
四国への大動脈は、岡山駅から人力車で京橋、三播から海を渡っていたとのこと。大正時代になるとレールを敷いた台船にその
まま貨物列車を載せる運搬船が登場。貨物列車で運ばれてきた物資をいったん下ろし船に積み替え、また高松で貨物列車に積み
込むという手間が省けたのです。そして客車をそのまま載せる大型船が登場しました。
桧垣直右知事(山口県出身) さよなら宇高連絡船 サンポート高松
自動車やトラックを載せるフェリーが本格的に登場するのは昭和20〜30年ころですが、詳しくは山陽新聞社刊「宇野港物語」をぜひ
ご一読ください。桧垣知事が築港計画を強行した件りや昭和の紫雲丸事故の悲惨な模様や証言などなどや古い写真が多数掲載
されています。書店にない場合は、図書館で探せば見つかると思います。
宇野港物語 岡山の図書館
宇高航路は必要です。瀬戸大橋は国道30号線のバイパスだそうですが強風が吹くと通行できなくなります。風速20〜25mになると
自動車及び電車も止まってしまいます。二輪車は四輪車よりさらに早めに通行止めになります。「強風のため児島坂出間 自動車
速度50キロ規制 自動二輪車通行止め」などという電光掲示板が、瀬戸中央道入り口付近に見られることがあります。瀬戸大橋
が、瀬戸内海でもなるべく狭い海峡部分に立地しているため、風がこのあたりにさしかかると速度を増してしまうからです。岡山市
内でも風がゴウゴウ鳴っているときには、瀬戸大橋がすでに通行止めになっていることもあります。なお、台風時に限らず。
 
瀬戸大橋が強風による通行止めであったとしても、宇高航路は何ら規制がなく、通常運行しています。船は台風か濃霧、津波警
報の場合、運行休止にはなります。紫雲丸事故は濃霧、またその日は航路が全面運行休止に。このためフェリー乗り場に着くと
宇野駅から船着き場に向けてぞくぞくと歩く人々に出くわすことが何度かありました。瀬戸大橋線が止まってしまい、振り替え輸送
のために電車の乗客が船に乗り換えるために黙々と歩いているのです。困った表情ながら足早に。こうなるといつもはのんびり
のどかな船室も、すし詰め状態になり、さらにフェリーが沖合いに出ると風の影響で白波がたち船体に波がダバンダバンと打ちつ
けられて落ち着くどころではありません。
風速6m 吹き流し〜 煙が真横に〜 ビューッ
ある時やはり強風の冬の日、四国からの帰り便の高松港で、同じく振り替え輸送の乗客が大勢乗り込んできました。船室は一杯に
なり、座席の間の通路にも立ったままの乗客がたくさんいて身動きできないくらいのすし詰めで、ガヤガヤと話し声はするは動き回
るは騒々しい状態でした。直島に近づくにつれ何やら島の周りでヘリコプターが旋回している。そして島からは煙の帯が広範囲に
立ち上っています。直島で山火事が発生していました。どんどん島に近づくと、ヘリコプターは数機の消防ヘリで、海水をすくって炎
上中の山に投下してまた海面に戻って海水をすくうという消火活動だと分かりました。我々の船は海面でホバリングをする消防ヘリ
の間近を通過し、そして直島港を通過、すると山の法面を線状に炎が燃え上がっていく様子が目の前に。かなりの大火事です。
海岸べりの火元らしき地点(風は西から東、一番西の海岸、山の麓)も確認できました。

<直島を通過>
船の乗客たちも慌てています。「おーっ」とかうなりながら不安そうに島の惨状を見つめています。やがて船は、白煙を上げる直島
から遠ざかっていきました。折しも瀬戸大橋線が止まるほどの強風です。その後完全に鎮火するまでには数日かかったと記憶して
います。まさに固唾を飲んで見守るという数分間でしたが、中にはわいわいワサワサしている乗客も多く山火事に関心が無い人も
いました。鉄道が止まり船で振り替えになったものだから、急きょ予定変更やら何時着くのか心配だったり頭が一杯だったのかと。
50キロ規制・二輪車通行止め
以前、瀬戸大橋の強風で怖い目にあってから風速10mを超すと、今では、高松まで回ってフェリーで岡山に帰るようにしています。
四国行きで瀬戸大橋を渡っていると風速計が10m近くを表示。行きは多少荷物を積んでいるので、風にあおられても何とか走向
できます。でも荷物を降ろした帰りが怖い〜ので、空模様(風の吹き方)を確認して行きより天候が回復したか悪化してないか、探
ったり(道ばたの宣伝のぼりなど目安に)、また時には瀬戸大橋の管理センターに電話して風速および規制情報を尋ねてから橋に
するか船で帰るか決めています。無理に走向して、風にあおられハンドルを取られて横転、または欄干乗り越えて海面に落下なん
て・・・。強風時にはトラックの通行台数も減っていると思います。トラック運転手も事故防止で強風をなるべく避けているのでしょう。
我々運送業者にとって、宇高航路は命綱となっています。
古地図
 

 

 

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